デジタルとアナログの狭間で

文具、デジタルガジェット、お料理、そしてバロック音楽について浅く広く徒然なるままに書きます

万年筆を斬る! ~その18~

何かをネットで調べ居ていたときに偶然とある万年筆に堕ちた人のブログを見つけてしまいました。

面白かったので、2008年頃でしょうか?一番最初の記事から現在までの記事を一気に読んでしまいました。
(興味の無い動物回等はスルーしてますが・・・)

私も結構な万年筆の本数を持っていますが、やはりラインナップを概観すると比較的高価な万年筆が少しあって、それを取り巻く廉価な万年筆、ということでラインナップに強弱があります。
(廉価と言っても、1万円とかする文具は高額な商品なのですが・・・ )

しかし、高額な万年筆ばかりだと私は気分的になんだか疲れてしまいますのでこの構成が気に入ってます。

だがしかし、その万年筆に堕ちた人は万年筆の魅力にとりつかれたように、見事に大物ばかり。
10万円クラスの高額なモノを買ったかとおもったら、舌の根の乾かぬうちにまた大物ゲット。

見る限り単純計算で、100諭吉どころか200諭吉くらい余裕で突っ込んでいるんではないか?と見えます。
なんで物欲というのは納まらないモノなのか?

散々探し回った上に出会うことが出来て、且つ大枚叩いて買ったビンテージ万年筆を、後に買ったことすらを忘れてしまう、、
一度に大量にドライアップさせてしまう、、
でいてセンチュリー、プレジデント辺りは目的が目的だけに「壊れてもいいや」感覚での購入。

それでもなお衰えない物欲、、不思議でなりません。

私なぞ、これ以上本数増えても使えないから欲しくない、と感じてしまいます。
(インクを通してない万年筆は、軸割れで使えなくなったペンだけ。 でも捨てないで時々手にとって、かつて毎日使ってたときのこと、を懐かしみます)

同様な事をひしひしと感じるのが、件の万年筆研究会。
見事なラインナップをここかしこで沢山見かけます。

でも、でも、、、どうしても思ってしまうのですよ。

万年筆を溺愛しているように見えて、買っては手放し買っては手放し。
更に、最高の書き味を求めてグリグリと調整沼にハマって行く。

元は単純に書くという目的で購入しているはずの筆記具が、

「あの万年筆はどんな書き味なんだろうか?」
となんだかよくわからない目的になって、挙げ句の果てに最高の書き味を求めることが目的になっていったり、本来の目的から逸脱してコレクションする事に快感を見いだしてしまう…

とても万年筆に愛がある行動には見えません。
少なくとも私が端から見る限りは……ですが。

確かに高級筆記具、特に万年筆には魅力がいっぱいで趣向性が高いことは否めませんので、理解も出来ますしそれ自体悪いこととは微塵も思いませんが、そう言ったマニアの人や行動が目に着くことは入門者を寄せ付けがたい雰囲気を確実に醸し出しています。

いわゆる「オタク」、という集団です。

自身オタクだったのでわかりますが、確実に他を寄せ付けない「何か?」
例えば、「ATフィールド」(笑)を築き上げています。

こう言うことが過ぎると入門者を及び腰にさせる原因になり得るの少しは頭の片隅に覚えていて欲しいものです。
でも、お互いに万年筆のお話できる仲間というのは欲しいし、第一楽しい!
確かに素敵な会であることは事実です。

要はバランスなのでしょうね。